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受け取る=与える
もっちのお父さんが、大けがをした。
突然のお知らせに驚きを隠せなかった。
こういうお知らせは、いつだって突然。
結構なけがで、救急救命センターに運ばれたと連絡が来て、すぐにお見舞いにもっちと駆けつけた。
行きの電車の中で、動揺を隠せないもっちを励ましながら、具現をリーディングした。
お父さんは、肘から下の左腕を切断した。
結論から言うと、
感情にフタをすることによって心を閉鎖し愛情を受け取ることを拒んでいる、ということにかなり差し迫った問題があるというメッセージだった。
わたしからすると、男性性にそういう部分があるということだ。
電車の中で、もっちは混乱が落ち着いてきたのか、ゆっくりと感情を表現しはじめた。
悲しさ、くやしさ。
自分のせいだろうか。自分のせいだろう。自分がもっとしっかりしておけば・・・・。
わたしは、20歳のときに母を亡くしているだけに、その心情は痛いほどわかる。
母は母の学びがあり、病気になることや今生を終えることに母やわたしや関わる人たちが見えない領域で承諾していたなんてことは知らなかった頃。
自分のせいで。わたしがもっといい子だったら。母にあんなことも、こんなことも、してあげたかったのに!
と痛く自分を責めたからだ。
とかく、感情は、唐突に思ってもみないほど自分を巻き込み、一気に近視眼に陥らせる。
それがなにも悪いといっているのではない。いいも悪いもない。
巻き込み、陥らせているのも当の本人なのだし、時間がたってからわかったが、その感情を味わうことすら今のわたしにはいろんな糧になっている。
だけど、陥って混乱している人の不安は相当なものだ。
わたしは手を握りながら、もっちに話しかけつづけた。
そう感じるものは、感じるんだから正直に認めて出してあげたらいいと思う。
自分を責めたり、悲しいと感じることを、うそにできるわけがないもん。
でもね、お父さんがけがしたのは、もっちのせいではないよ。
お父さんは、お父さんの学びがあって、そのお父さん自身が承諾して起こした具現。
それを否定することはできないよ。
共同創造だよ。
受け入れて、何を伝えてくれているのか、そこから何を学べるのか、考えよう。
もちろん、顕在の自覚あるお父さんは、そんなこと思っていないと思う。
でも、わたしの経験上はっきり言えるけど、何かを失ったり失いそうになるという一見不幸に感じる出来事が教えてくれていることは、その失ったり失いそうになったりした『何か』の大切さだよ。
その大切さを忘れて、感謝を忘れて、当たり前だと思い、自分にその大切で価値あるものが『ない』と思いこんでいると、本当にそれがなくなりそうな経験をさせてくれて、そのとき始めて、大切さや感謝を思い出させてくれるんだよ。
だから、本当になくなるわけではないの。物理的には、『ない』となるけどね。
お父さんは、これから左腕の大切さありがたさを知っていき、まわりの人たちの支えを受け取りながら生きていくことになる。
周りにも感謝することを知ると思う。実はなくしたと思ったものが、すでに『あった』と気づく。
誤解を恐れずに言うと、わたしはお父さんの身を張ったこの学びに感動すらしているよ。
その学びたいという意志は、すばらしいと思う。そんなことをわたしにも教えてくれたと思ってる。
もっちは、だけどどうすればいいのかわからない、こういうときに『神聖さに沿う』ってどうすればいい?
と言った。
この出来事を受容すること、お父さんの起こした具現が伝えてくれているメッセージを受け取り、自分に活かすことだとわたしは言った。
受容するとは、顕在がいやがるような避けて通りたいようなことも、受け入れて経験し何かを学び自分に与えることだと思っている。
顕在がいやがるような避けて通りたいような(今まで避けてきた未解決なこと)にこそ、大きな学びと、そこから得る大きな喜びの享受が待ち受けていると思うから。
自分のせいだ、と自分を責めることや、お父さんを気の毒だ、かわいそうだ、弱いものだ、とすることが愛だとは思わない。
わたしはお父さんは、越えられる学びを自分に課したのだから、強いと思うよ。
これを機に仕事をやめるお父さんを支えていくだろうお母さんも、家族も、みんな強いと思うよ。
落ち着いたら、お母さんと存分に旅行に行ったり人生楽しんだりすればいいよ。
やたらわたしは、亡くなった母のこと、亡くした当時の自分のことを思い出していた。
母を亡くした当時のわたしは、母の存在を当たり前だと思い、感謝を忘れて過ごしていた。
なくなって初めて気づくとはこういうことだが、母の死そのものを受け入れること自体に大変時間を要したわたしは、そのことが本当に教えてくれていた本質に気づくことにも時間がかかった。
突然いなくなったことに対して、深いところで怒りすら覚えていたことにも気づいたのは、自己探究を始めてしばらく経った去年のことだった。
こうやって、どれだけ時間が経っても、いろいろな大切なことを教え続けてくれている母には心から感謝している。
そのおかげで、今のわたしがいる。
この日、もっちより一足先に京都へ帰りRen宅へlessonに行った。
RenもRyuも、わたしに様子を聞き、同じ事を言ってくれた。
お父さんは今から感謝しか学ばないだろう。と。
dozen/Ren blog⇒Lotus Diary〜Ripe Of Source/dozen〜
http://ryu-and-ren.seesaa.net/
dozen/Ryu blog⇒Dragon Diary〜Ripe Of Source/dozen〜
http://dragon-and-lotus.seesaa.net/
わたしにたくさんの気づきをくれた、この出来事には感謝している。
顕在のわたしが困難だと、逃げたいと、避けたいと感じることにこそ、溢れんばかりの愛の学びがあるということだ。
そして、チャレンジする価値があり、必ず越えられる。
越えた先には、もっともっと深く大きく広い愛を享受した自分が待っているということだ。
※この内容はもっちに掲載の承諾を得ています。
読んでもらったときに、ちょっとまだ胸が締め付けられる想いやな、って言いながらも承諾してくれたもっちに感謝します。ありがとう。
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07/08/21